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焼岳の大爆発は大正4年6月6日。これによる膨大な土砂流により、急スピードで梓川がせき止められ、短時間のうちに川の水は上高地温泉まで達しました。その後地域の地形は次第に変わっています。その状況を国土地理院発行の地図(旧版地図を含む)で示しています。
等高線が赤は1500m、だいだいは1520m、紫は1480m。
●左上は大正元年測量 焼岳の噴火前です。大正池の上流あたりまで谷が切れ込んでいました。大正池の南端あたりでは1420mくらいでした。上高地温泉ホテルも1480m付近。その上流は割に平坦ですので、定期的に焼岳の噴出物が谷を埋めているような気がします。
●左下は昭和5年修正。大きな大正池が出現。1500mの等高線が小さくなり、地域が全般的に高くなっています。温泉ホテルも1520mくらいの所に。
●右下は平成5年修正。大正池の浚渫のためでしょうか地域の標高が低くなって昔に戻りつつあります。 |
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