週刊下水道情報1687号 平成23年5月17日発行
連載・水辺の散策  −歴史・文化・生活考−
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 メリダのグアディアナ川

1,はじめに
 メリダはスペイン中西部ポルトガルの国境近く、グアディアナ川に面し、紀元前25年頃退役軍人の為に建設されたローマの遺跡が至る所にある落ちついた人口4万人の街である。ローマ時代には重要な道路拠点であった。なおコーヒーで有名なメリダはベネズェラ西部の州及び州都である。
グアディアナ川河川敷
 旧市街地対岸の公園。水面も広い。
2,グアディアナ川
  マドリッド南西3百キロの山地から発し、西に流れメリダを通り、70km先のポルトガル国境で南に向きを変え国境沿いに流れ大西洋に注ぐ国際河川。メリダ付近では日本の川と同じように広い河川敷があり、人々が散策する公園になっていた。上流には大きなダム湖が二つ、下流にも大きなダムがあって、重要な水資源のようで、雨の少ないスペインにあって、水も豊かであった。河川敷公園は、遊歩道が設けられ、遊水池のように広い水面が展開している。公園の中にあるローマ橋は約800mあり、旧市街から川向こうへ渡るもので、今は人道橋として使われている。橋の旧市街側には昔要塞があって、川沿いに高い城壁が設けられていた。
ローマ橋
 川の横断部は5百メートルくらい
3,水道橋
 メリダには水道橋が2本あり、1kmくらいの間隔で並んでいる。2本も作られたということは大きく重要な都市であったのであろう。このうちミラグロス水道橋は最高25mの高さで公園内に保存されている。5km北にある上流に長さ425m高さ20mのダムを建設し、ダム湖から水を運んでいた。上流部はレンガ積みの水路で導水し、下流部に約8百mの水道橋を建造した。水道橋は公園内で小さな川をまたいで約2百メートル残っている。その構造は3層のアーチで支えられ、柱は2.5m角で、柱の外側が30〜50cmくらいの厚みの石積みで内側にコンクリートを詰めた5段の石積みと5段のレンガが交互に積み上げられている。コンクリートはローマンコンクリートとよばれ、セメントとある種の火山灰が主成分で、高強度であったとされる。レンガは薄いので5段合わせて積石の一段くらいの厚さにしかならない。アーチ部はレンガで構成している。また柱は横に張り出しを設け補強をしている。
 積石の間のレンガが変わった色合いを出している。ローマの水道橋はどこも石造りと思っていたが、現地ガイドの説明によるとローマの建設技術者は橋の建設の際に現地の状況を良く検討し設計していて、ここは地盤が強くないのでレンガを入れて軽量化を図ったということであった。レンガ部が薄いので、それほどの軽量化が図られたのだろうかという気もする。
 ただレンガが良く持っているもので、工事も入念だったのだろう。頻度は希であるが地震に耐えてきたので、レンガが免震効果をもっていたのだろうか。
ミラグロス水道橋
 3段のアーチで柱を補強。
 水道橋の上はコウノトリの団地になっていた。大型の鳥で高いところに巣を作る。電柱の上につくると、漏電などの原因になるし、民家の上では、猫の心配や糞公害で嫌がられるだろうし、営巣場所が少なくなっているようである。
 もう一つのサン・ラサロ水道橋は東北からの水を引いていたものでバスから見るだけであったがレンガは入っていなかった。地図で見ると600mくらい延びているが、ローマ時代から残っているものは柱が3本だけでレンガの縞もあり、今のものは16世紀に昔の水道橋を壊してつくったもののようである。

劇場近くのトイレ遺跡
 
上と横につながった穴がある。
4,劇場のトイレ
ここでは地形をうまく利用した円形競技場と劇場が隣り合っていて、双方ともによく保存されている。円形競技場は収容能力1万5千人と大きい。紀元前8年に完成してもので、観客の動線を考えて設計してあり、出入りの通行が周辺の住居地域に迷惑にならないような専用通路も通している。
 競技場中央に丸い広い溝があり、水路から水を入れて模擬海戦ができるようになっていた。猛獣の部屋も残っている。
ローマ劇場は6千人収容する半円形の観客席の劇場で、紀元前16年にアグリッパにより建設された。舞台近くの床や壁は音響効果を上げるため大理石張りになっていて、舞台の後ろには神々や皇帝の像が置かれていた。
劇場の舞台裏に公衆トイレの遺跡が残っていた。ローマ時代の競技場や劇場は各地に残されているがトイレまで残っているのは珍しい。
 トイレの遺構は、L型石部材の2平面に、つながった丸い穴を開けたもの。写真では丸い便座の穴が6個並んでいる。便座の下は水路になっていて水が流れていたようである。便座の前の穴は海綿や葉っぱでお尻を拭くためのものとのこと。手前に手洗い用の細い水路がある。トイレは建物の中に入っていたようで、建物基礎長さの感じからすると穴は50個くらい並んでいたと思われる。1万人以上の人が集まる場所なので、トイレの規模も相当大きくなくてはならない。
 このように生活に関連する遺跡の復元がもっと増えて欲しいものである。