週刊下水道情報1622号 平成21年8月25日発行
連載・水辺の散策  −歴史・文化・生活考−
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 リスボン港

1,はじめに
 リスボンの街は大西洋に注ぎ込むテージョ川を10km遡った北岸の港湾都市で、「七つの丘の都」と呼ばれる。これらの坂を上り下りする市電とケーブルカーが名物。人口は56万人であるが、周辺もあわせたリスボン都市圏の人口は260万人に及ぶ。ヨーロッパ大陸最西端のロカ岬も近くにある。
古代からフェニキア人(カルタゴ人)などにより港として利用されてきたが、15世紀はじめには大航海時代の幕開けとともに、世界貿易の中心都市となって35万人の人口を有し、当時の世界最大級の都市となった。ヴァスコ・ダ・ガマは1497年7月8日にリスボン港を出港し、4ヶ月後喜望峰を発見、その後インドのカリカットに到着して帰還した。
ベレンの塔
 海の中に
2,テージョ川
 テージョ川はスペイン中央部から流れ出し、古都のアランフェス、トレドなどを通ってポルトガルに入ってくる全長千キロのイベリア半島で最長の川。リスボン上流20kmくらいのところで湾のように広がって幅15kmくらいになる。街の中心部を過ぎたところからまたすぼまって幅2kmくらいに。
 リスボンの街はテージョ川北側の丘に広がっているので遊覧船に乗れば写真が撮れると考え探したところ、フェリー乗り場から遊覧船が出ていることがわかった。リスボン滞在の午後は自由時間であったので、ガイドに調べてもらったところ午後に出るとのこと。英語が通じないので、スペイン語圏に堪能な添乗員にタクシー運転手に見せるメモを書いてもらい、昼ご飯もそこそこに、指定のフェリー乗り場に。不思議なことに一日一便しかない。リスボンは大型客船が頻繁に訪れるような観光地ではないようである。人気のない待合室で待っていたら次第に人が増え、百人以上とほぼ満員になったが、東洋系は自分一人であった。遊覧は、はじめに川を東に遡り、万博公園とヴァスコ・ダ・ガマ橋まで行って戻り、次に街の西端のベレン地区までいってまた乗り場に戻ってくるもの。
発見のモニュメント
 帆船をデザイン化。市街は丘陵地形
3,ベレン地区
 ベレン地区は中心街の西端にあたり、ベレンの塔は16世紀初め、船の出入りを監視する要塞として建てられ、大航海時代、帰る保証のない多くの船乗りを見送ってきた。2層の要塞の上に4層の塔がある。1階は水牢であったとのこと。建物は優雅な造りで、塔には巨大なネックレスのような赤い飾りがつけられていた。
 ベレンの塔の東約1kmに、エンリケ航海王子500回忌の1960年に建てられた「発見のモニュメント」がある。帆船をデザイン化し、先頭に航海王子、そのあとに宣教師、学者、船乗りなどの像が並ぶ。広場の世界地図には各地の発見年代が記されている。日本は1541年とあった。この年ポルトガル船が豊後に漂着。
 モニュメントの丘側には壮麗なジェロニモス修道院があり、ヴァスコ・ダ・ガマの棺がおかれている。
4,4月25日橋
 ベレン地区の少し上流にある珍しい日付の名前の橋。道路と鉄道が通り、全長2278mで1966年に完成。何故かサンフランシスコの金門橋と同じデザインである。当初建造を命じた独裁者の名前であったが1974年の革命により新政府が誕生し、革命を記念して改名された。橋の南側対岸にはクリスト・レイという110mの両手を広げた巨大なキリスト像があり、1959年に立てられた。これもリオ・デ・ジャネイロのコルコバードの丘に立つキリスト像を模している。
ヴァスコ・ダ・ガマ橋
 リスボン側から渡りだして右に曲がっているので全景を見ることができる
5,国際公園
 中心部東端では1998年に万国博が開かれた。テージョ川から遠く見るだけであったが、水族館、国際会議場、ショッピングセンター、展望台などがある国際公園になり、川沿いには眺望がいいロープウエイが走っている。
6,ヴァスコ・ダ・ガマ橋
 国際公園から対岸を結ぶ17kmの橋。水深が深くないのか、橋は多数の橋脚の上にある。万国博直前の1998年に開通し、欧州一の長さである。細長過ぎて川からはとても全体の写真が撮れないが、翌朝、橋を渡った時、大きく右にカーブしている橋を渡りだしてすぐカメラに収めることができた。運良く右側の座席であった。
地下鉄駅のホーム
 
ホテルの近く
7,地下鉄駅で
 ホテルの近くに地下鉄の駅があり、一度利用して豪華さに驚いた。ホームが3階分くらいの吹き抜けで、改札口も広く、モニュメントをつるすなどしていた。オライアスという支線駅であるが、最小の空間で人が溢れ、我慢している日本の公共駅がみすぼらしくみえる。