下水道情報1664号 平成22年6月15日発行
連載・水辺の散策  −歴史・文化・生活考−
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 ベルンのアーレ川

1,はじめに
 ベルンは人口12万人、中心部は古い建物が並び、落ち着いた地方都市のようで、首都である感じがしない。政府の建物も少し目立つのは国会議事堂くらい。連邦制で政府業務の地方分散が進んでいるのであろうか。
中心部北側
 コルンハウス橋から
 スイス連邦の形成は1531年と江戸幕府よりも古く、これ以来5百年近くも体制が良好に持続しているのは世界を見回しても他に例がない。人口の64%がドイツ語を日常語としているものの、公用言語が3つで、コミュニケーションも大変だと思うが。人口が750万人、国土が九州くらいの広さしかないのに現在でも世界におけるそのその存在は大きい。幾度の凄惨な世界大戦に巻き込まれなかったのは、攻めても損失の方が大きいという軍備力、諸勢力の均衡を考えた中立の維持、海がないのに国境が閉鎖されても国民が生きていけるなど国力を保持できているからであろう。主要産業であった時計製造が日本製のクォーツに移行したのに、一人当たりGDPは日本よりはるかに高く、繁栄している。政治経済の自動安定機構がうまく働いているのであろう。
 南から流れてきたアーレ川は街を深く切り込んで、旧市街をぐるっと回って流れている。
川と水路に挟まれた建物。
2,アーレ川
 ベルンの街では大きく蛇行しながら深い谷を形成していて、穿入(せんにゅう)蛇行の地形と思われる。穿入蛇行は、大昔に平坦な沖積平野で川が大きく蛇行して流れていたのが、台地の隆起により川が蛇行したまま渓谷をつくってしまったもので、山あいを大きく蛇行して流れている四万十川がそれに当たる。
 ベルンに昼に到着してすぐ中心街にあるコルンハウスの地下で食事となった。昔のワイン倉を改造したもので、広大な地下室がそっくりアールヌーボー様式のレストランになっている。ここは蛇行するアーレ川の幅が4百mちょっとくらいしかないところで、自由時間が少ないパックツアーであったので、食事の始まる前に急いで北のコルンハウス橋まで行って周辺の写真を撮り、また食事の終わり頃にまた抜け出して南のキルンフェルト橋までいって撮影ができた。ここの大きな蛇行が、川を濠とする城塞としての守りにいいので、街が発達したと思われる。
 川沿いの低地は川のすぐそばまで住宅街になっているところもあり、洪水の時が心配になる。上流に大きな湖がいくつもあるので流況変化が少ないのであろうか。
大きな堰
 中心部南側から

 アーレ川はベルナーオーバーランド山系南側のウンターアーレ氷河を水源とし、ダム湖であるグリムゼル湖に流れ込む。グリムセル湖を出て北上し、レーテリクスボーデン湖 、高低差46メートルのハンデッグ滝を通り、ブリエンツ湖の東端に注ぐ。アイガー、ユングフラウなどがあるベルナーオーバーランド山系北側から流れ出たリュチーネ川もプリエンツ湖に流れ込む。アーレ川はその後湖西端インターラーケンから出て、すぐ西のトゥーン湖に入る。その後ベルンに入り、ベルン旧市街を取り巻く形で流れる。トゥーン湖からベルンまで直線距離で30km足らずであり、ベルンまでは蛇行が少ない。ベルンで流れを北西方向から西方向に転換し、サリーヌ川と合流した後に北方向に流れを変える。さらに39平方キロもあるビール湖に注ぐ。その後ビール湖の東端から流れ出て、流れを北に変える。ドイツとの国境付近のコブレンツで東から流れてくるライン川に合流する。ライン川はそのまま西方向にスイス−ドイツ国境沿いに流れる。
クラム通りと時計塔
 
東から。塔は昔、こちら側の中心市街の西門だった。水飲み場はツェーリンゲンの噴水と呼ばれ、上に熊の像が。すぐそばのアインシュタインの家も通りに面している。
3,堰
 旧市街南側に長さが4百メートルほどもある大きな堰がある。堰は粉ひきなど水力利用のためにつくられたと想像される。堰上げされ、横に流れる水路は、残念ながらそこまで行く時間がなくて、よくわからないがまた川に戻っているようである。川と水路の間にある建物はけっこう緑化されホテルに見えるが、地図に表示がなく、地図で調べると交通関係の協会と金属会社が入っているらしい。
4,水飲み場
 上に像を置き、水飲み場を兼ねた噴水が旧市街あちこちにあって、総数百箇所。共同の水場だったとのこと。噴水は道路の真ん中にあり、5m位の塔が立って、その上に様々な様々な像が据えられている。英雄、伝説上の人物、ベルンの名前の由来の熊など。
5,アインシュタインの家
 チューリッヒの大学卒業後、結婚して特許局に勤めていた。家は繁華街のクラム通りにあり、ここに住んでいた3年間に、相対性理論など数々の革命的な論文を発表した。家は、およそいい研究環境とほど遠いような、繁華街の中心にある。