柳川の堀割ー3 2004.4
ドンコ舟の乗下船場は7カ所ありますが、駅近くの発着場から出発して、白秋生家近くが終点になるものが多い。運航会社は6社もあるとのこと。
柳川城とその掘割は永禄年間(1558〜1570)に豪族蒲池鑑盛(あきもり)が築いたとされ、立花左近将監宗茂が関ヶ原敗戦で流浪の身(徳川家康の命令で奥州棚倉へ移封)となった
後を受けて、田中吉政公が名城と知られる柳川城と掘割を整備したものです。
現在の柳川城は天守閣跡が僅かな石積のみの高い丘として残っています。
当時、このお城は『水の城』と称えられたそうです。
出典 柳川城址