逆転の思想−165        目次
              水道公論2017年3月号


 思い出の味
 食べ物が本当に乏しかった時に生まれ育ち、成人になった頃にやっとおいしい物が手軽に食べられるようになった世代に属している。自分より数年後の世代の人の多くは給食の脱脂粉乳がいやな思い出として残っているようであるが、食糧難がもっとひどかった自分にとっては他の食べ物よりおいしい存在であった。小学校高学年の頃でも、バナナはとても手に入るものでなかったし、非常に薄い鯨のカツが給食に出てきて皆で喜んだ憶えがある。
 空襲で家財を失い、生活物資が全くなかった時代のことが心に染みついているので、当分使わないものでも簡単に捨てることができにくくて、家の中にはがらくたがけっこう場所を取っている。
 子供の頃から、手が届いておいしい思い出といえば横浜崎陽軒のシュウマイがあった。親が横浜を通るときに駅で一つ買ってきてくれて、家族みんなで分けて喜んで食べた。現在でもおいしく東京駅などで時々買っている。美食が氾濫している今もおいしく食べられるということは品質の改善もたゆまずやっていると思っていたら、先日このシュウマイについてのTV番組があり、その中で昔から材料や作り方は変わっていないと説明されていたのに驚いた。
 小学2年生のときにひどい中耳炎にかかり、新宿戸山にあった国立第一病院の耳鼻科の小川先生に手術していただき九死に一生を得た。退院後、親に連れられ検査で行ったとき、病院の食堂で食べたチャーハンの味が忘れられない。今思い出すと豚肉を油でこがし、刻み紅ショウガが入っていたように思う。油でこがすことの用語が分からないが中華料理で、野菜や肉を炒めるとき、鍋の中にも火を入れ少し焦がして独特の風味にすることで、昔は湯麺の野菜などもけっこうこの方法で調理していた。最近は脂っこいものを食べに行かないこともあり縁遠くなっている。一般家庭では火力が弱いので鍋の中に火を入れるのは難しい。
 若い頃、子供にこの味を食べさせようといろいろ試みたができなかった。おいしいチャーハンをだすというレストランにも行ったことがあり、おいしかったがまだという感じであった。生きている間にどこかの食堂でお願いして、もう一度この味を食したいと考えている。
 子供の頃のトマトも忘れられない。トマトくさくてそれほどおいしいという感じではなかったが、今の味のないトマトばかりの世界では大変なつかしい。スーパーなどでは高価なフルーツトマトもあるが、本当のトマトらしさには乏しい気がする。昔のトマトも一度食べてみたいものである。


注  雑誌では番号が164となっています。