逆転の思想−167        目次
              水道公論2017年5月号


 劇場型政治といじめの構図
 2011年、放射能の関係で住民が去った地域についての鉢呂経産大臣(当時)の死の町発言では、数ヶ月前に厚生労働大臣が正式な委員会で同じ表現で答弁していて的外れの発言ではないのに、大々的に批判され、その尻馬に多くの人が乗った。特定の人物に狙いを定め些細なことをおかしいと皆で攻撃するまさにいじめである。学校でなく、社会全体でこういういじめを堂々と行っている。子供はこういうことをけっこう見聞きして真似する。当時メデイアの多くもいじめに参加したためかその後反省もない。
 外側から見た感想ではあるが、豊洲問題では皆で頭の黒いネズミを追いかけ悪者にして成敗しようという劇場型演出を行っているように見える。この手法は郵政民営化選挙で大成功した。郵政民営化は国の大きな政治的課題でなかったのに、選挙の大きな争点にして、反対する議員を、後ろ向きな除外すべき標的にしたて上げ、悪者退治の劇場にして大勝した。劇場型と言われるがいじめ型ともみなせる。
 豊洲でも法令上問題がないのに移転が安心できないと騒ぎを大きくし、当時の責任者を悪者に仕立て皆で成敗しようという劇場型にも似た構図で推移している。
 死の町発言は経産大臣の辞任で幕を閉じ、被害を被ったのはいじめられた本人だけで、反省しないまま忘れられようとされているが、豊洲は莫大なお金が無駄に使われかねないことになっている。メディアの多くが劇場型政治に参加してしまうと、流れに反する事実や主張は取り上げられないか、揶揄されるかということになる。
 築地市場が汚染されている問題で、都知事のアスファルトやコンクリートで覆われているから人の健康に影響を与えることはないという見解は、豊洲がもっとしっかり建設されているのに何故と、本来世論が炎上するようなことであるが、今の筋書きで行くと、舞台の進行に反するので問題にされない方向に進むと思われる。新事実の追求というが、筋書きに沿っていないことは新事実にされない。今後の舞台の進行は、筋書きに無理があるので、結局悪役の成敗が難しく、黒い霧が晴れないまま閉幕したというようなことになるのであろうか。うまく収束してくれるといいが。
 日本人の国民性の一つに空気があげられる。多くの人が持つ意向に反対しにくく、遠慮して流されていくことであろうか。意向が正しい方向に向かえばいいが、悪い方向に向かう場合災難が待つことになる。
 隣国では仏像盗難、大統領罷免裁判などに見られるように法律よりも感情が優先していて、法治国家でなく情治国家の色彩が強いようである。これは儒教から来ているという説がある。
 我が国では司法の独立性はある程度保たれているが、劇場型の政治によって世の中が変な方向に向かってしまい社会がいびつになっていくことは避けなければならない。