逆転の思想−177        目次
              水道公論2018年4月号


 生死のグレーゾーン
 人生もあと僅かになりつつあり、病院で苦痛が続くなど厳しい状況を送って亡くなった両親のことを考えると、ピンピンころりで突然苦しまないであの世に行くのが理想だ。、何もできず生かされるだけの状態になったらすぐに安楽死させてもらいたいと考えている。
 生物はすべからく種の保存に役立たなくなった時点で速やかに消えるのが宿命で、通常は子育てができなくなったら寿命がつきるように設計されている。例外的に高等のほ乳類で孫や家族のために役立たなくなるまで生きることができている。人も従来は世に役立たない年齢になったら大体寿命が尽きていた。
 しかし生活水準の向上や医療の発達により、ここ数十年の人間社会だけが種の繁栄に対して貢献が少ない高齢者を長生きさせることができるようになった。
 何年も地中でじっとしていて、外に出たら数日で死んでしまうセミの寿命を考えると恵まれ過ぎとも思う。
 かって公害問題が大きかった頃、白でないものは黒だと決めつける空気が世を支配し、これで苦しめられた人も多かった。その後環境問題にグレーゾーンがあるという常識が通るようになって落ち着いた。
 生死の境界にもグレーゾーンがあると思うが、命は地球より重いというような現実的でないと思われる単純な理論がまかり通っているようにも感じる。
 平成3年に苦しんでいるのを見かねた家族から頼まれて末期ガン患者を安楽死させた医師が、執行猶予付きではあるが刑罰を受けている。
 一方、自殺者数をみるとバブル崩壊の頃の平成10年に5割近くも増えて年間3万人台になった。特に40〜60代の男性が急増した。その後、平成24年にやっと2万人台に戻った。こんなに健康な人が死んでいるのに大騒ぎにならない。
 母子家庭で、母親が病死し、乳児も死んでしまって発見される事件も気の毒である。
 生死の境界で、難しい問題を提起したのが、自分に何の得もないのに起こした相模原の身障者施設の事件であろう。
 我が国は人工中絶が認められているが、生まれたら人として活動できる命を奪っている恐ろしいことをしていることになる。
 元気で生きることができたのに合法的に奪われてしまう命の数を減らさなければならない。
 欧州では安楽死を制度化している国もあるという。生死の境界もグレーゾーンを認め、本来生きていなければいけない人ができるだけ生きていられるような社会を目指す必要がある。高齢になるまで生きていられたのは非常に幸福なことである。死んでいないだけという状況になったら、生命維持に多額なお金がかけることよりも、自らの命のあり方を選択する安楽死という手法についても、もっと前向きに考えてもらいたいと考えるがいかがだろうか。