逆転の思想−184        目次
              水道公論2018年11月号


 災害時の公的機関などの立ち位置
 台風での避難指示など安全確保のための呼びかけや交通止めなど個人の行動に対する安全面からの公的な勧告や規制が出される。基本姿勢として、ホームで黄色い線の内側を歩けと繰り返し放送するなど手取り足取りに見える日本の場合と、欧州のようなリスクは自分でとる自己責任とする場合といろいろあると思える。
 我が国の場合、突然の土砂崩れで車が巻き込まれた場合、通行止めにしなかったと道路管理者が罰せられたり、池の危険防止の金網に穴が空いていて子供がそこから入って事故につながった場合、池の管理者が罰せられる。これには法曹界の意向が反映されているように見える。
自然災害のひどさは起こってみないと分からない。避難の警報が出て、災害が発生しなかった場合が増えると警報に従わない人が増えてくる。 また、危険や注意の標識が行き渡ると人々はそれに慣れて、標識がない場所は安全と思いがちになる。
 自己責任の社会では、危険の程度を自覚しなければいけないので、その場その場で安全性を考えるようになり、危険性の察知能力と対応力が増す。
 保安設備の例ともつながるが、高知県の欄干のない沈下橋は広くても渡るのが怖いし、最近駅のホームドアーが普及してきてそれに慣れたせいか昔平気だったドアのないホームで線路に近いところを怖くて歩けなくなってきた。
 山間部道路の通行止めであるが、土砂崩れの予測は実験でも難しい至難の業である。また交通止めがされていなくても起こる場合がある。やむを得ぬ緊急事態があってどうしても通りたいという人について状況によって自己責任で判断してもらうこともあり得ると考える。
 台風24号で関東のJRは20時から運行停止したが、成田空港の国際線到着便は19時半以降最終の21時まで11便あった。京成電鉄が幸い運行していたが、公共交通機関の使命を考えさせられることである。
 東日本大震災の津波で、避難所に避難していた多くの方々が亡くなった。避難していたにもかかわらず被災してしまうことは想定外などの逃げ言葉で済む問題でない。
 津波の高さは予測が非常に難しい。東南海トラフの津波について各地の津波予想高が公共機関によって示されているが、東日本震災のように局地的な津波や海底地すべりなどのことが考えられ、その信頼性の度合いはどうだろうか。
 安全確保のための公的な安全上の関与はそれに慣れすぎて危機管理ができなくなったり、別な問題を発したり予想外の事態がありうる。そうした想定外の問題点が懸念されることも広く認識される必要があると考える。