逆転の思想−189        目次
              水道公論2019年5月号


 後悔の深さ
 犯罪は被害者だけでなく加害者の親族まで不幸にしてしまう。
 最近の犯罪で目立つのは、動機が理解できないようなささいなものが多いことである。
 名古屋の女子大生がなんの利害も関係もない老女を殺害した。人を殺してみたかったというのが動機らしいが、とんでもない不幸を本人だけでなく家族も背負い込むことになる。子供を大学に入れ、下宿させることができた生活レベルの高い家庭であったろうから、子供が起こした犯罪によって、家族は皆どこかに身を隠すような生活を余儀なくされるだろうし、家族に犯罪者を持ったという大きな心の傷を抱えて生きていかなければならない。
 車の止め方を注意され、しつこいあおり運転をして、相手が死んでしまった事件も罪の重さや被害者、加害者の家族にもたらされる計り知れない不幸に較べ動機があまりにもささいなことである。
 一方、三つ子の世話に疲れ果てた母親が、一人殺してしまった事件は大変気の毒であるし、刑罰を受ける本人だけでなく残された2人の幼児と父親のことも思うと言いようのない不憫な思いが残る。
 本来犯罪は、精神的に追い詰められたり、食べるお金がないなど金銭面で切羽詰まった状況がもとになるものが大半であるが、些細なことにより犯罪を引き起こすのは被害者のみならず加害者、残された家族にとってあまりにもひどい、悔やむに悔やまれないことであろう。
 こういうケースが目立つのは最近増えているからなのか、昔からあるが報道されなかったのかのかよく分からないができるだけ起こらないようにするためには何が求められるのか。自分の行動が、どういう事態を引き起こすのかよく考えるしつけが必要なのだろうか。
 悔やみきれない災害のなかに、東日本大震災のとき、子供が学校に行っていて、学校で避難していたのを知らず、探していて津波に巻きこまれた親のケースなどもある。津波はその怖さが良く認識され、高いところに逃げれば簡単に助かるのに多くの人々が亡くなってしまった。
 石巻市大川小学校で、津波の避難先に悩んで、橋のたもとの小高い場所に行こうとした時津波に襲われ、列の後にいた一部の児童は裏山に駆け上がって助かったが多くの児童や先生が亡くなったこともある。急斜面で足場が悪く、登れない児童もいたらしいが裏山に逃げていれば良かったことがあり、深い後悔の念をもたらした。
 死んだ子の歳を数えるという悲しいことわざがあるが、常識的な人間であっても、場合によって、悔やみきれない後悔の念を抱えて生きていくことになる場合もあるだろう。深い後悔の念が少なくなる社会になっていくといいのだが。