逆転の思想−192        目次
              水道公論2019年8月号


 車窓の印象
 東海道新幹線沿線の景色を見ていると、土地利用が全く乱れているように感ずる。美しくない街並みで延々と広がる低層住宅、街外れのようなところにある集合住宅、低層住宅の家々と農地の混在など。欧州では街と周辺農村地帯がけっこうはっきり分かれていて、またどこに行っても車窓の眺めが写真にできるのに。江戸時代では街並みが統一され、清潔で世界一きれいな都市であったそうである。
 わが国では地方のけっこう大きな都市でも鉄道やバス便が少なく中心市街がシャッター街になるなど寂しいことがある。
 大きくない都市でもけっこう乗客が多いトラムが頻繁に走り、賑やかな欧州の街と大きく違う。人口減少によって中小都市の中心市街の衰退はもっと激しくなると思われる。
 欧州と比べると土地利用の制度が適正に運用されているように見えない。本来、市街地は市街化区域として立地が色分けされているはずであった。市街化調整区域では建築物の規制がけっこう厳しかったはずである。なぜこんなことになっているのだろう。
 このような状況になった原因としていろいろ考えられる。まず土地神話がある、高度成長時代、土地の値上がりはすさまじく、所有の固執化のもととなり、また高騰のため、街中の公共用地取得が難航した。
 土地は公共のために使えるという憲法の規定があるのに極度の私権保護、一人でも反対したら橋を架けないというような標語がもてはやされたことなどのほか、値上がり期待の声が強く市街化区域が広く設定されすぎたこと、市街化調整区域の外にある農業地域で制限が緩く家が建っていったなどがある。
 地価高騰により、街外れにバイパス道路が設けられ、本来中心市街にあるべき市役所など公共機関や総合病院、大規模商業施設や道の駅などが街中から遠い駐車場を確保できる場所に移転したことなどもある。
 市街地が散らばってしまったため、高齢者の交通事故が増えているのに、車を運転できないと日常生活が不可能な地域が広がっている。街中に集合住宅が増えると、トラムやバスなどの公共交通も採算が取れるようになり、また歩いての買い物もできるようになる。富山市などで街をコンパクトにする方向がでているが、現行の制度ではなかなか難しいと思われる。ただ交通については自動運転の実用化など期待できそうである。
 しかしその制度化をどうするか、また膨大なのに増える一方の空き家や放置林など差し障りのない方策では全然解決しない国の基本となる大問題が山積しているのに、前進のない上げ足取りに終始している我が国の政治、メディアの世界はなんとかならないだろうか。