逆転の思想-193        目次
              水道公論2019年9月号


 寒冷化の災害リスク
 災害対策の想定範囲は何十年や百年に一度というような大規模災害にも耐える方向に変わりつつある。千年に一度という貞観クラス地震津波を軽視した結果何万人の命が奪われ、より長期の災害リスクを真剣に考えなくてはいけないことが示されているが、「気候文明史」田家康著で、もっと怖いリスクがあることを認識させられた。
 温暖化問題ばかり焦点が行っているが、長期災害リスクを見てみると、本当に怖いのが寒冷化である。古来、温暖化によって農業が栄え、食べ物が豊富になり、人口が増えた時に寒冷化が起こり、人口が多い分深刻な飢餓状態、経済破綻を引き起こし、幾多の文明が崩壊してきた。
 北半球の多くの地域が氷河で覆われた氷河期は11万年前にはじまり、1.5万年前に終わり、当分来ないとされているが、過去の歴史を見ると、過去2千年でも温暖と寒冷を繰り返し、寒冷化の際には飢饉や文明の消滅などの危機をもたらしている。3世紀から5世紀、13世紀、15世紀、16世紀後半から19世紀半󠄂ばまでなどと頻繁に発生し小氷期と呼ばれ、太陽の活動低下や大規模火山噴火によるもので、アルプスでは氷河が低地に前進していた。逆に19世紀半ばから続いている温暖期はむしろ異常に思える。
 江戸時代は数百年続いた寒い時代にあたるそうで、何回も飢饉が起きている。各地で新田開発が進んだのに人口は殆ど増えなかった。飢饉の原因はかんばつなどもあるが、これらの異常気象が短期に終わるのに、寒冷化は数年は続くので怖ろしい。
 1645年から1715年まで太陽黒点が消え、マウンダー極小期と呼ばれる。バルト海やテムズ川が氷結した。当時、ミンダナオ島の火山、駒ヶ岳、有珠山、樽前山など火山噴火も多発し、小氷期の中でも特に寒い時代であった。
 元禄の飢饉についてはこの中の1691年から1695年まで続き、弘前、盛岡藩で15万人が亡くなった。フランスでは死者2百万人と言われる。
 元禄飢饉の頃、関東より南はまだ良かったらしい。当時の人口は3千万人程度。当時と違うのが1.2億の人口で7割もの食料を輸入に頼っていることで、寒冷化では食料の輸入は望むべくもなく、数年続くため1億人近くの飢餓状態を引き起こすことになる。備えがおざなりであったら、寒さに強いジャガイモやそばの栽培など焼け石に水で、石油タンパク大量生産、原発をフル稼働させての人工照明栽培などでもどれくらいカバーできるのだろうか。高齢者の安楽死にも及ぶであろう。
 温暖化と寒冷化の発生リスクを百対1としてもその被害は1対1万になるであろうから、温暖化のリスクよりはるかに重いとしなければならないのだろう。