逆転の思想-195        目次
              水道公論2019年11月号


 硫黄島からの手紙
 以前に見た映画「硫黄島からの手紙」のなかで、米兵が降服した日本兵を撃ち殺す場面があった。ひどい場面だったので憶えていたが最近硫黄島の戦闘で数少ない降服者を射殺していたということを聞いた。ただし、戦闘中の人道的な場面もあり、戦闘終了後、降服を勧めるなども行われ守備側の2万1千人のうち生存者は約千人であった。
 監督は有名映画俳優のクリント・イーストウッドで、最初は米国側視点の「父親たちの星条旗」が、それに続いて日本側の視点の映画が制作され2006年に公開された。イーストウッドは当初、「硫黄島からの手紙」を日本人の監督に考えていたが、勉強しているうちに日本軍兵士が米軍兵士と変わらないと考え自分で監督することにしたそうである。日本を描いた米国映画は従来、不自然で違和感のあるものが多かったが、よく調べて考えているとされる。
 捕虜射殺の場面は批判を呼ぶ危険性があったのに、よく入れたものである。
 戦後何十年経って、植民地問題、人種問題など自分たちが中心であった欧米社会の考え方に変化がでて来ていることが感じられる。
 東京裁判で、人種差別を続けるとともに何十万人の大量虐殺を行った国、何十万人を奴隷化して極寒の地で強制労働させていた国、独立宣言をしたのに再植民地化するため攻め込んできた国などから派遣されてきた判事等が裁判と称して戦争犯罪人として殺人刑の宣告を行ったことがずっと正しいこととされてきたことは、勝てば自分の悪いことを不問にしてしまう世界、英語では「勝者の裁き」というそうであるが、勝てば官軍が続いたことであった。大勢が決まっていて、余裕のある側が人道的になるのが本来なのに、非人道的な逆襲をされない見通しになって安心して行ったと思えるような大量虐殺も戦争を早く終わらせるためといういい訳が通っていた。
 インドのラダ・ビノード・パール判事などがおかしいと主張したのが歴史に残り救いであった。裁判の際、原告側の証拠は噂でも採用し、被告側の証拠を採用しなかったことなども指摘されている。1951年のサンフランシスコ平和条約での中で日本国は東京裁判を受諾するとしっかり定められていた。
 後になってマッカーサーが著書の中で日本の自存自衛のための戦争であったことを認めていたが、これだけ多くの人を不幸に追い込んだ戦争をはじめたことの責任は重い。
 戦後70年以上たって、世界の多くの地域でものごとを公正に見られるようになってきた現在、強いものの道理がまかり通ることがない、平和で公正な世界になっていくようにしていく必要があるが、現実はどうであろうか。