倉敷川ー1 2003.12(撮影2003.10)
倉敷川の流れは美観地区からはじまっているように見えます。倉敷は天領として栄え、美観地区あたりは米や綿花の倉庫が並んでいたということですから、倉敷川は運河としての機能を持っていたのでしょう。
倉敷川ー2
倉敷川ー3 下流
倉敷川ー4 西側の水路
有隣荘
旧大原家住宅(国重要文化財)の東に大原孫三郎氏が病気がちの奥方のために新築し、後には主に迎賓用に使用されました
倉敷が情緒豊かな町としてよみがえることができたのは、クラレの経営者大原總一郎氏の尽力によるものとか。昭和13年(1938)ドイツに留学中、中世の古典的な町並みを残すローテンブルグ市に魅せられたが、第2次世界大戦で焼失した。ところが、その後見事に元の町並みに復元し、町の歴史を日常生活に生かしていることに大きな感動を覚えた。
氏の肝いりでできた民芸協会が昭和20年代に倉敷の蔵造り民家を「観光風致地区」に指定するよう全国へ紹介にのり出す。民芸という視点から町並み保存を訴え。
旅館鶴形 吉宗の時代に建てられた建物、