雄川堰2 楽山園 群馬県甘楽町 |1|2|3|4|5|6|7|8|9|10|11|12|13| |
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楽山園の昆明池
藩主の館である陣屋の庭園、非常に良く手入れされている。
雄川堰から水が引き込まれている。
織田信長の次男信雄が築いたとされる。
池は主庭の昆明池と泉水があり、昆明池では水は手前側の小さな滝から流れ込み、向こう側から出ていく。
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信雄は養蚕など産業育成にも努めたとされる。近くの富岡製糸場につながるのだろうか。
陣屋は小藩の城のようなもの。
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小さな滝
昆明池の南端、一番口から約5百米のところ。
織田信雄は1615年甘楽の5万石を授与された。
晩年は京都に隠居。
跡継ぎの4男信良の頃1629年藩庁が北の上州福島から今の木幡に移り、町割りや水道施設が建設された。楽山園はもっと前に造営されたらしい。
藩の財政は苦しく、内紛もあり、尊皇思想家に関する1767年の事件から、織田家は出羽高畠藩に移封。木幡には奥平松平家が入った。
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